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インド・イスラーム史 「通史1:アヨーディヤー問題から」
 
 インド・イスラーム史を概説する、地ならしとして、現在の亜大陸の懸念の一つである宗教間紛争(コミュナリズム)について理解を深めようと、その激化の転換点となった所謂アヨーディヤー問題を調べてみたのであった。

 現在のインドは、主にガンジー、ネルー以来のインド国民会議派(Indian National Congress、コングレス派)を中心とした与党連合(UPA)と最大野党インド人民党(Bharatiya Janata Party、BJP)を中心とする野党連合・国民民主同盟(NDA)の対峙する形となっている。  1998年以来、インド人民党に与党の座を奪われていた国民会議派は、下層カーストの支持を得て、大方の予想を裏切り2004年の総選挙で勝利し、インド人民党から政権を奪取した。総裁ソニア・ガンディー氏は、予想に反して首相の座に就かず、経済通で知られる元蔵臣で財務畑のマンモハン・シン上院議員が首相に就任した。首相は真面目で誠実なイメージがあり、そのため大衆により支持されている。また、つい昨今の大統領選においても与党の推すプラティーバー・デーヴィーシン・パーティル氏が女性としてはじめて、第12代インド共和国大統領の座に就いた(ちなみにインドでは国家元首は大統領であるが、ネルー以来、首相が実質的な最高権力者である)。

 とは言え、かつての国民会議派の優位は、とうに失われ、インドはある意味民主政治が正常に働いている状況となっている。前大統領カラム氏が二大政党体制への移行をほのめかしているように、政治的には健全な状況であるといえよう。また、よく知られているように、イギリス軍の伝統を受け継ぐインド軍は、法整備の全く欠けている日本や、同じ社会主義国家(インドは「社会主義国家」の看板を外していない)ではあるが、国家の軍隊が存在せず、未だ政党の私的軍隊である人民解放軍しかない中国とはシビリアンコントロールの面で雲泥の差がある。法的に日本では軍隊ではない(つまり軍事法廷すらない)自衛隊のクーデターは全く不可能ではないが、インドではアジア諸国で最も可能性が少なく安定した国家である。    さて現在は野党であるインド人民党の歴史は、宗教対立の激化と深く係わり合いがある。そもそもアヨーディヤ事件を起こしたのは、インド人民党なのであるから。

 アヨーディヤ暴動事件は、1992年12月6日、ガンジス平原のほぼ中央に位置するウッタル・プラデーシュ州の地方都市アヨーディヤー市にあるモスクを、暴徒化したヒンドゥー教徒が破壊した事件である。  その後、ムスリムとヒンドゥー教徒は互いに住民を襲撃したり、モスクやヒンドゥー寺院の破壊を実行したり、また海外(パキスタンやバングラディシュのみならず、インド系の移民が多い国や地域でも同様の騒動が頻発するようになった大事件であった。

 そもそもアヨーディヤーではそれ以前19世紀半ば頃から、こうしたヒンドゥーとムスリムの衝突事件が頻発した問題の地であった。この地方の支配王朝であったアワド朝が弱体化して地域の治安維持能力が低下した19世紀後半にはヒンドゥー教徒は、モスクに侵入して一部を占拠し、また第二次大戦後の混乱期にも同様にヒンドゥー教徒による占拠事件が起こっている。つまり政局が不安定化すると、対立が先鋭化するのである。

 この問題の地をインド人民党も古くから重視していた。  そもそのインド人民党は、マハトマ・ガンディー暗殺犯が構成員の一人でもあったヒンドゥー至上主義団体「国民奉仕団」(RSS)の政治的活動のための組織であるインド大衆連盟(ジャン・サン)が母体であった。1980年代により政党としての勢力を増すために、組織改変を行いインド人民党として再スタートし、アヨーディヤー運動によって、急速に支持を伸ばし、政権を奪取するにいたるのである。

 ではアヨーディヤーには何があったのか。  それはこの地がラーマ王子生誕の地であるという俗説が、実しやかに流布するヒンドゥーの聖地であったからである。  ラーマ王子とは無論インド二代叙事詩の一つ「ラーマーナーヤ」の主人公、ヴィシュヌ神の化身である。ラーマ王子の治める王国コーサラ国の首都がアヨーディヤーなのである。  そして事件で破壊されたモスクは、かつてラーマ神を祀る寺院があった土地であり、悪逆な異教徒であるムガル帝国初代皇帝バーブルによって破壊され、彼によって建立されたと言う「バーブル・モスク」と呼ばれるものであった。  インド人民党は、異教徒であり、侵略者であったムスリムの蛮行を糺し、インド最大の英雄の聖地復活を唱えたのである。  勿論ラーマ王子は歴史上の人物などではない。  それどころか、そもそもこの地には元来寺院など存在していなかったのである。  この事件は、インド人民党の政治勢力拡大のための政治的な宣伝活動、演出に基づいた虚構、一種の神話劇であり、極めて悪質な陰謀であった。

 「バーブルモスク」は、ガーグラー川右岸に存在するアヨーディヤー市の中心的建造物であった。しかし、このモスクは確かにムガル朝初期に建造された建築物ではあったが、バーブルではなく、その武将ミール・バーキーが主導して建設したものであった。また、インド人民党が主張するように、その地にラーマ王子を祀るが寺院があったと言う記録はなく、ラーマ王子の神話から類推した虚構に過ぎなかった。
 近代の政治的(あるは狂信的自己正当化の理論として)歴史敵事実に虚構を織り交ぜて主張する歴史修正主義にも似たインド人民党の主張は、しかし民衆の多くに影響を与えてしまった。たとえ虚構であっても、政治指導者が提唱し宣伝するテーマが、膨大な量で流布定着し、一定のテンプレートが出来上がってしまえば、後にそれが、でたらめであったと判明しても容易に人々には受け入れられず、耳にすれば他者に対する懐疑を呼び起こし、暴発へと繋がる材料として定着しまうのである。
 例えば、日本における従軍慰安婦問題なども、これと同じ類であろう。この問題は、現在ですら存在する(政権が黙認する形での)戦場娼婦の問題であり、本来日本だけが特筆される事件ではなかったはずである。米軍も戦後の日本やベトナム戦争時代、そしてイラクで似たようなことを行っている。軍隊あるところ娼婦ありなのである。強制された、あるいは扇動されて被害にあった女性は歴史上数知れないであろう。つまり、この問題を補償とからめて本気で論議した場合、おそらく収拾がつかなくなる。今後も本気で解決しようとする政権、国家はおそらく存在しないであろう。お茶を濁しておしまいである。それが日本では、時に話題に上るのは、中国や韓国国内の政治的な理由による。先日の慰安婦問題の米国議会の議決ですら、中国ロビーの暗躍が明白で、つまり8/15を睨んでいるのである。本来、過去の問題を糾弾する場合は、今後の再発を防止する事も重要な論点となるはずなのに、この戦場娼婦に関しては、どの国も全く乗り気でないのは、皆後ろめたく、かつ存在を将来も黙認すると言うことなのだろう...。

 おっと、論点がずれた。

 さてインド人民党が主張するモスク破壊は、歴史的に植民地時代の価値観の急変に由来する。  つまり、かつて地元民にとっては現在使用されている建物、あるいは廃墟でしかなかった諸建造物が、西欧の考古学的研究分類法に触れて以後、歴史的に自身のアイデンティティを確立するための祖先からの「遺産」、歴史編成のための重要な目に見える証拠に変貌してしまったことが指摘できるのである。そしてインドの学者たちも遺跡群の調査や歴史的位置付けを時に偏見を持って研究発表し、インド史を再編していった。

 それはイギリス政府が画策したヒンドゥー、ムスリム知識人達の植民地体制への編入と、諸勢力に対する「分断して統治せよ」と言う指針に沿ったものである。
 それは植民地体制が瓦解し、独立が現実的となった時、ムスリムとヒンドゥーが結局共同できなかった悲劇へと繋がる。  歴史好きな私が言うのもなんだが、歴史とは90%は嘘であり、政治宣伝である。確証のある事実のみを書いていたら、歴史の本とは非常に薄っぺらくなり、歴史学者は職を失う。だから仮説が次々と流布し、混沌とした状況を生み出すのである。  それでも人々は歴史を求める。
 心地よい嘘を欲しがる。  インドのヒンドゥーもムスリムも、同じく真実より、嘘に惹かれていったのである。

 ミール・バーキーのモスクが「バーブル・モスク」となり、虚構に踊らされた人々がつるはしを担いで、それを破壊した。こうして政治的混乱を利用してインド人民党は政権を奪取した。そもそもインド人民党の支持基盤は、いわゆるヒンディー語ベルト(インド唯一の本当の公用語ヒンディー語を使う地域の上級カースト、富裕層であり、政府の下級、中級カースト優遇政策を阻止すべく活動を支持していた人々である。ヒンドゥー原理主義なども本来は自身の地位カーストを安泰にするための詭弁に過ぎなかったのである。インド人民党は、(戦後国際社会最大の失策であった)インドの核兵器所有を実現させ、経済的自由化、民営化を促進させ、穏健派のムバラク政権の元、パキスタンとの関係もある程度修復できた。しかし、彼らが残した負の遺産は決して消えることはないであろう。特に核開発競争で、パキスタンの核兵器所有を間接的に後押ししてしまったことは、将来不安定な現パキスタン政権が瓦解した場合(確率はきわめて高い)、核兵器が原理主義者によって自由に使え、拡散する可能性を生み出したと非難されるであろう。これは、いずれ彼ら自身に降りかかってくる大問題である。

 さて、なんとも暗い将来が垣間見えるが近代史は、どうもやはり生臭くていけません。
 夢想と幻想の中世インド・ムスリーム時代に次回からは、移るとします。

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