頑固猫の小さな書斎

世界史とお茶を愛する猫の小さな部屋
 
 
 
 
アルメニア通史1

  カフカス(コーカサス)に存在する旧ソビエト連邦構成国の一つ、アルメニア共和国について親しみのある日本人は、商社で海外を飛び回ってる人か、外務省の役人でもない限り、実に少ないのではないかと思う。
 私も全く、全然、知らないと断言できる。
 行ったこともないし、行こうとも思わない。行く金がない…ふむ。

 そもそも調べるまで、その位置すらよく分からなかったくらいである。

 アルメニアってどこですか?・・・と白い世界地図を渡されて指差せる人は100人に5人いないのではないだろうか。勿論アルメニア共和国の公式HPは別にあるが、なんかあんまり更新してないみたいである。人のこと言えないけど。

 書籍に関しても、私の知る限り通史的な本が数冊ある程度である。それに内容の如何に関わらず、まずもって売れる本ではあるまい。
 
 私は何故か、この小国(の歴史)に興味を持ち、少ない資料をかき集めて通史的な内容を簡潔に(そうかあ?)まとめてみようと思い立った。ちなみに、きっかけは忘れた。
 もちろん、まだ未完成である。
 特に11世紀に独立を失った時機あたりから15世紀くらいまでは私の知識不足から、いい加減な記述になってしまった。反省している。
 不足分を補ってくれる方が居たら、メールで連絡して欲しいくらいである。資料とかくれ。

 ともかく徒然なるままに(行き当たりばったりとも言う)…目に付いた本から寄せ集めたアルメニアの歴史を書き殴ったものではある。
 暇を持て余している人は読んでいただきたい。
 まあ、読んだからと言って、何か役に立つものではないであろうが。
 勿論内容に誤りがあった場合、全て私の浅学のいたりと言うことで大目に見てやって欲しい。


1.勃興時代
 
 国家としてではなく地理的・歴史的な「アルメニア地方」は、現在のアルメニア共和国領土であるカスピ海と黒海に挟まれたカフカス(コーカサス)地方の南部に加えて、トルコとイラン領となっているアナトリア東部をも含む地域を指すようだ。
 つまりアルメニア高原と呼ばれる地域である。
 これが結構広い。
 ただ、それが伝統的なアルメニア人の勢力範囲に当たるかと言うと、もちろんそうではない。
 アルメニア人「も」一杯いたよ、と言う程度なのだろう。
 そもそもカフカスは、遡れば「白人」をかつて「コーカソイド」と呼んだように人類学上、白人種の発祥の地とされていたのだから、まあ民族的な問題は難しすぎて触れない方が無難であろう(もちろん現代の人種分類は随分変わってます)。
 
 さてアルメニアは基本的に標高が高い。
 高原と呼ばれるくらいであるから、当たり前である。
 この四方山に囲まれたかのような特異な地形は、造山活動の結果生まれたものだが、地理的に孤立していると同時に周辺諸国との結節点ともなった。つまり、どの地域から視ても、辺境・田舎と言うことになる。
 具体的には、この地は幾つかの山脈や湖で、地理的に分断されている。東はカラダフ山脈とウルミヤ湖がイラン高原との境となっており、西はアンチタウロス山脈でアナトリアと、南はタウロス山脈でシリアとイラクと、北はポントス山脈、コーカサス山脈で草原地帯と分かたれている。
 
 また四方の山脈から、十分な水資源の供給を受けて大小の河川が縦横に走っている。
 こうした河川流域では灌漑により、麦やブドウなどの農耕が行われている。
 小麦の栽培種はアルメニア起源とも言われており、9000年前から耕作が開始されたと推定されている。
 しかし降水量は山岳部を除いて少なく、全般に乾燥・半ステップ草原地帯となっており、灌漑地帯以外では、主に牧畜が行われている。そのため古代においては良馬の産地としてアルメニアは知られていた。
 私が現代の写真を見た感じでは、今も大して変わってないように思える。
 また現代のアルメニア共和国はカフカスでは比較的工業化の進んだ地である、…とアルメニア政府は言っている。
 共和国政府の発言が本当かどうかは私の狭い視野では判断できない。ただ決して豊かな国ではないのは、間違いなんだろう。
 しかし古代のアルメニアでは、銅や鉄の冶金技術、石工技術が歴史上最も早い時期に生み出された地域として知られている。石工技術が発展したのは、アルメニア高原が良質な様々な石材の産地である事に由来するのだろう。その副産物として初歩的な機械工学も発展しており、石材の運搬用の梃子類や荷車、また機織りも紀元前2000年頃には存在していた。
 また天文学も発展継承されていたことが遺跡から推定されている。
 こうした科学的な技術の発展は、その理由として厳しい地理・気候条件など、生き残るために創意工夫が求められた結果ではないかと思われる。
 ただ気候は穏やかで暖かい・・・とどの本にも書いてあるのだが。
 データ的には山岳部の冬は厳しく積雪量も多い。
 つまり寒暖差が激しい地方である訳だ。また地域の格差も大きい。
 完全な内陸で、海流の影響がない事と、地形が複雑なためと思われる。

 それはともかく、アルメニア人の自慢の一つは、アルメニアの地が古代最古の文明の地の一つであったことにある。
 遺跡もいっぱいある。
 でも現代アルメニア人の彼らの直接の先祖が文明を創始した訳でもない。
 これは、まあどの文明にも言えることではある。

 さて紀元前2000年前後のアルメニア地方は後にバビロニアで新王国を築くカルデア人が居住しており、その子孫がアルメニア人の基盤になって居るとも言われる。
 でもこれも確定でなく学説の一つに過ぎないようで、他にも印欧語族の故郷(どこか諸説ある)から紀元前12世紀から7世紀の間に(幅があるが説によって色々なのである…)頃アナトリア高原に現れたものたちがアルメニア人の祖先であるとも言う。
 現在までにつながる「アルメニア人」はひとまずおいておくとして、地理的な「アルメニア地方」に生まれた最初の国家と呼べるものは現在のトルコ領であるヴァン(またはワン)湖とアラス川(アララス)周辺に形成されたヴァン王朝、即ちアッシリア帝国の宿敵であったウラルトゥ王国(前9世紀〜前585年頃)、つまり旧約聖書中のアララト王国である。


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