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正統ハリーファ伝9:「シリア制圧戦その2」

 またアブー・ウバイダの部隊の他の三部隊は以下の通り。

・ヤジード・ブン・アブー・スフヤーン軍…ヨルダン渓谷東部バルカー地方を担当。

・アムル・ブン・アルワース
 パレスティナを担当した。
 ワーディー・アラバの戦いでビザンツ軍アラブ部隊を撃破、ガザに進撃した。アムルはエジプト・パレスティナ方面で交易に従事しており、この地域の政情や地理に詳しかったと言われる。またガザはムハンマドの先祖で、マッカ興隆の基盤を築いた商人ハーシムの没した場所であり、クライシュ族にとって特別な場所であった。後にハーシムの町との異称で呼ばれるガザはシリア・パレスティナとアラビア交易の重要拠点でもあった。
 進撃してきたアムルに対して634年2月4日、ガザの司令官でカンディタトス(皇帝警備官長)のセルギオス率いる軍隊が会戦(ターシンの戦い)した。結果はビザンツ軍の敗北に終わり、セルギオスは戦死、ガザは包囲された。
 なお陥落は637年であり、アムルはビザンツ軍の増援部隊との戦闘のために他方面に転進した。

・シュラフビール・ブン・ハサナ軍
 ヨルダン本土を担当した。ヤジードとほぼ共同して行動。周辺の町や村を分担して、征服し条約を結んだと思われる。

 各部隊の初期の行動から明らかなように、戦闘は恒久的な統治を目指したものではなく、貢納金の支払いや交易の安全を確保すれば撤退する伝統的な略奪戦争であった。
しかしビザンツ帝国側が予想以上に早く反攻を企図し、キリスト教系アラブの再編と、アルメニア方面から正規兵の増援を送り込んできた事から、情勢が一変する。

 ビザンツ側は、突然侵略的な行動を開始し始めたイスラーム勢力に驚愕し、その排除と、シリアのアラブ部族の早期の再編を決意したと思われる。
 こうして大軍同士の決戦が不可避な情勢となったのである。

 アブー・ウバイダからの急報を受け、アブー・バクルは大軍同士の会戦の経験を持つ唯一の武将であるハーリドを、急遽イラク方面から呼び寄せた。
 634年4月、これに答えてハーリドは600余りの最精強の部隊と共に、アラビア半島の沙漠地帯を横断、6日と言う強行軍を断行してダマスカス前面に現れたのである。
 アブー・ウバイダは、占領地域を放棄して軍隊を集結させ、到着したハーリドに引き渡した。 
 戦争の天才であるハーリド率いるムスリム軍は、まず中部シリアの最重要都市ボスラに進撃した。そしてパレスティナ方面に別行動をとっていたアムルを除いた全部隊を集結させ、短期間でこれを降伏させた。
 またハーリドはビザンツ軍の集結に合わせて、アムルの部隊も呼び寄せ合流させると、634年7月10日(または20日)、アジュナーダインで東ローマの大軍と対峙した。

 このアジュナーダインの戦闘の詳細も、再現するのが難しい。
 記録によればビザンツ側は90000〜100000と言う大軍であり、ムスリム勢は30000程となる。しかし実際は、ほぼ同数の兵力であったと考えられる。
 戦闘事態は数日間ほどで決着を見たと思われる。

 まず初日は小競り合いであり交渉がもたれたようである。
 伝承は高級武官同士の決闘が行われたとか、帝弟テオドロスがハーリド暗殺をしようとしたとかあるが疑わしい。
 戦列は中央にムウダ・ブン・ジャバル、左翼にサイード・ブン・アーミルとアブド・アッラフマーン・ブン・アブー・バクル、右翼にシャラフビールともう一人(アムル?)。中央の予備として後方にヤズィード・ブン・アブー・スフヤーンが配された。
 東ローマ軍はヘラクリウス帝の弟テオドロスとヒムス(あるいはエメサ)総督ヴァルダーン(またはアルタブーン)を指令官とし、アルメニア方面の増援とアラブ部族民からなっていた。
 戦闘は2日目以降は、乱戦の気配を見せ、双方甚大な被害が出たと考えられている。しかしハーリドは弓兵を巧みに利用して戦列を維持し、右翼の猛攻で次第に優勢になったようである。
 最終的にはヤズィードの予備部隊の適切な投入によって、勝敗が決したようである。
 敗走したビザンツ軍は北上して、ペラ(フィフル)で籠城したが、追撃してきたムスリム軍はこれを包囲、4ヶ月後に降伏した。

 アジュナーダインの敗戦は帝国の軍事オプションを失わせた。
 シリア方面軍を統率する指揮系統が瓦解したため、各地の都市防衛隊は各々で籠城することしか出来なかった。総兵力は未だアラブ軍に匹敵したはずだが、部隊同士連絡を取り合う事もなかっため、地域防衛は不可能であった。また地域の連絡網がないも同然となった事は、帝国の情報収集能力おも失わせた。そのためビザンツ帝国軍は、シリアの支配能力を完全に失ったのである。シリアの農村地帯は孤立して、アラブ軍の為すがままの状態となった。兵坦組織などなかったはずのアラブは、略奪によって補給が可能になり、長期の軍事活動を行うことができたのである。

 アジュナーダインの戦いの前後に、アブー・バクルは病没した。
 アブー・バクルが指名したウマルによって、シリア征服は遅滞なく遂行されていく。

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