頑固猫の小さな書斎

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正統ハリーファ伝2:「アフル・アルリッダ(棄教者)との戦いその1」

 アブー・バクル最大の業績は、アラビア半島の諸部族を本当の意味で支配し、統御する事に成功した事である。
 武力による徹底的な制圧を強行し、アラブ諸部族に対する絶対の権威をイスラーム共同体に与えた功績は大きい。
 あくまでも契約と言う形での統合でしかなかったムハンマド時代と違って、本当の意味での統一を成遂げたのである。

 前述したようにムハンマドの死後、アラビア半島の諸集団はアブー・バクルの権力を認めずに、納税や兵士の供出を拒否し、また多くがイスラームを棄教して独立を指向した。
 イスラームを離れなかった集団も、今までの合意はムハンマド個人との契約であり、彼の死によって終了したものと解釈された。
 そのため安全保障や税に関する取り決め、契約が新たになされない限り、ウンマとの関係は断たれたとの立場をとったのである。
 具体的には税の支払いを延ばしたり、通行安全保障の放棄などである。敵対するまで行かなくても多くの集団は、アブー・バクルの政権に対して日和見の姿勢を採ったのである。
 こうした商業的なものを含む諸契約が基本的に個人間のもので、国家や法人との契約を認めない(つまり非生物に人格を認めない)との考えは、現在に至るまでイスラーム世界の特徴であると言える。
 後世の歴史家は、彼らの行動は背教と言う最大の罪を犯したとする立場で語る。故に一様にリッダ(棄教)の民と呼ばれるのである。

 また半島にはムハンマドと正式な同盟を結ばなかった有力な部族もいた。彼らもアラビア半島に生れた政治空白を利用して、覇権を目指した行動を開始した。
 加えてイラクに近い地域では、シャイバーン族など混乱していたサーサーン朝の領土であるイラクへの征服活動を試み、勢力拡大を目指す集団もあった。

 重要なのは反抗部族の多くがムハンマドの成功を見て、神の使徒を名乗る「偽預言者」を擁立し、各地で支持を拡大させていたことである。
 この新たな預言者達は、ムスリムからは大嘘つきを意味するカッザーブと呼ばれるようになる。

 当時、蜂起したカッサーブ(偽預言者)としては以下の人物達が重要であった。また、おそらく記録に残らない様な、小規模な宗教組織も存在していた可能性はある。

(1)ハニーファ族のムサイリマ。
 アラビア半島中央部のオアシス地帯ヤマーマで蜂起した勢力。反乱諸勢力の中で最も強力であった。彼らの支配地域は、イエメンを除くアラビア半島では貴重な食糧生産地でありマッカにも食料を供給していた。
 なおムサイリマは「小さなムスリム」の意味であり、イスラーム側からの蔑称の意味合いが大きい。彼の本来のイスムはマスラマ(・ブン・ハビーブ)である。
 ムサイリマは、マッカ時代のクルアーンと同じく、美麗なサジュウ散文体で啓示を記し伝えて、人々の支持を得ていた。唯一神ラフマーンの使徒を称しており、禁欲主義の立場を取ったと言われる。
 ムサイリマは、ムハンマドが宣教を開始する以前から一神教の教えを説き、多くの支持者を得ていた。ムハンマド自身も影響を受け、教団運営や教義などを参考としたと思われる優れた宗教者であった。
 彼の勢力とイスラームのウンマは抗争を選択せず、ムハンマドの生前中は何らかの条件の元に同盟あるいは安全保証を約していたと思われる。彼と彼の信奉者はイスラームに改宗したとは考えられないため、実際には棄教には当たらないであろう。
 ムサイリマに対する評価は、イスラーム側の歪曲が相当入っていると思われる。彼はハーリドの軍によって敗れるまで、独立した勢力であり続けた。
 そのためマスラマがムハンマドの死後に、アラビア半島制圧を目指したのは当然の帰結であった。
 勿論実情を知るアブー・バクルは、彼の討伐を慎重に行うよう指示している。

(2)タミーム族の女預言者サジャーフ。
 女性ながら魅惑的な説法で多数の支持者を得て、バフラインのタミーム族の指導的立場を得た。ムサイリマの勢力を上回る数の支持者がいたとも言われるが、勢力拡大のためには女性指導者は不利な点も多かったのだろうか。最終的に同盟者を求めていたムサイリマと協議し、彼と結婚して共同戦線を張り、イスラームに対抗する事となった。二人の関係ではムハンマドとハディージャとの関係にも似ている。
 伝承では、攻め寄せてきたサジャーフと対峙したムサイリマが、その軍勢が多い事を恐れて部下と謀った結果、策略を用いる事としたと言う。
 ムサイリマは使者を送り、お互いの授かった啓示に関して意見を述べ合い、検討した結果が正しいと考えた側に従うと言う、和睦案を提示したのである。
 サジャーフは和睦の話し合いに合意し、ムサイリマが設けた和平の席を訪れたが、そのテントの中は性欲を増すアロエの香りが漂う様な危険な罠であった。
 サジャーフが入った途端にムサイリマが欺き、襲って彼女と同衾したと言われる。
 貞操を奪われたサジャーフは、このムサイリマの策略によって仕方なく、自身の啓示よりムサイリマのそれが正しいと公表した。そして彼と結婚する事で和平を選んだと言う。
 この余り、現実にはありそうでない伝承に幾許かの真実があるとすると、つまり最初からサジャーフはムサイリマとの同盟を模索していたと言う事なのだろう。
 歴史的な事実はともかく、ムサイリマの勢力は同盟によってイスラームのそれと匹敵するものとなった。
 またムサイリマは彼女との結婚の際に、彼女とその民に婚資の替わりに、アスルの礼拝の免除をしたとされる。タミーム族の中には、後々になってもアスルの刻の礼拝を行わない人々がいたと言われる。

(3)アサド族のタルハ。
 タルハ・ブン・フワイラド・アル・アスディーは一般に嘲りの意味も含めてトゥライハ(小さなタルハ)と呼ばれる。出身地のガタファーン族の長ウヤイナの支持を受けた。マディーナ近郊に勢力を持ち、イスラームにとって最優先で対処する必要のある集団であった。最初にマディーナ政権に襲撃を行い、アブー・バクルの唱える危機が、現実のものである事をヒジャーズのアラブ達に知らしめた。

(4)イエメンの預言者アスワド。
 ムハンマドの生前に降伏したサーサーン朝の総督の死後、マズヒジュ族の有力者カイス・ブン・アルマクシューフと結んで首都サヌアーを占領した。
 ムハンマドの徴税人を追放した。
 しかし、アスワドはカイスとの関係が悪くなり、彼に殺されたとされる。

 その他にも独立を表明したアラブ部族の有力者がいた。中にはイスラームに改宗していたが、独立とともに棄教する者も現れた。
 特に最有力の集団はヤマン(イエメン)東部のハドラマウトの王キンダ族のアシュアス・ブン・カイスである。棄教して、ハドラマウトに独自の王権を再興する事を意図したと思われる。またオマーンでも反イスラームの勢力が実権を握った。

 この危機に、政権の中核であるムハージルーン、アンサール及びクライシュ族は内紛を脇に置いて団結する必要が生じた。ムハンマドが重体に陥った頃から、すでにこうした傾向が見受けられたために、アブー・バクルの即位がスムーズに行われたのであろう。
 ヒジャーズ地方周辺の小集団はマディーナへの忠誠を捨てず、弱小遊牧民諸集団が団結し、アブー・バクルへの支持を表明し、ハリーファの指揮の元での戦闘に同意した。
 逆に一定の勢力を持つ大きな遊牧勢力とその周辺の都市は、ほとんどが反乱に立ちあがった。
 武力解決以外の道は残されていなかった。

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