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コラム:黒人差別とイスラーム

  「黒人は本質的に人間的資質に乏しく、物言わぬ動物に極めて近い。黒人は一般に軽率で、情緒的であり、メロディーを聞くとすぐに踊りだす。彼らはどこにおいても愚か者とみなされる」

 混血とは言えアフリカ系のアメリカ大統領が誕生した現代からみれば、上の発言は偏見と侮蔑に満ちた許し難い暴言である。
 最も、そうした「常識」が広まったのは、ごく最近の事である。
 少なくとも公民権運動以前のアメリカなら、こうした発言は公然とまかり通っていたであろう。

 ただ、これは西欧人の発言ではない。
 有名な北アフリカ出身のムスリムで14世紀に活躍した政治家にして学者であるイブン・ハルドゥーンの言葉である。
 歴史書「イバル(実例)の書」の作者であり、マルムーク朝スルタン・バルクークに仕えるなど北アフリカ政界で活躍し、征服者ティムールと会見した歴史上の著名人である。
 マーリク派の法学者でもあり、イバルの書の序章と第一部に当たる所謂「歴史序説」は冷静な観察眼を持って書かれた社会学、経済学などの諸学問に言及した著作として極めて評価が高い。また古典派経済学の基本思想である労働価値論の先駆者としても知られている。

 この様なイスラームの全盛期とも言える当時の最高の学識を持った人物が、黒人に対しては不当な評価、認識しか持っていなかった事は、イスラーム法の支配が人種や出身地を超越した理想的な平等を実現できるシステムでは決してない事を暗示している。
 敬虔なムスリムなら勿論そのような事はないと声高に叫ぶであろうが、差別や不平等、経済格差の解決、価値観の変化に対する柔軟な対応など社会不安の払拭や現実問題の解決をイスラーム(法)のみに期待する事は無理というものである。
 イスラームに限らず、世直し的、原理主義的な運動が社会に広がるときは、歴史上常に経済問題や戦争など社会不安が増大し、統治システムに重大な問題が発生したときである。それを神(もしくはその権威)にすがって解決しようとするのは人間の弱さであり、致し方ない事ではあるが、最終的な解決は決して神はもたらさない。また、そのような事は愚行である。愚行を神は評価しないであろう。神は試練を与えるが、努力と信仰の見返り、報酬は現実の世界では決して与えないのである。個々人の忍耐強い努力による社会状況の好転、または外部勢力の介入と支配、あるいは共同体自体の消滅。結果は様々であるが、それは神の恩寵の結果ではない。

 などとありきたりな話はともかくとして、近代にいたるまで黒人に差別意識を持っていたのは西欧人だけではない。白人系のムスリムのほぼ全てがサハラ以南の黒人達を獣同様の人々として自分達の下に見ていたのである。そして西欧人に黒人蔑視の思想を植え付けたのは、イブン・ハルドゥーンなどの知識人による書物や、交易を通じて伝えられたムスリム達の言辞であったと考えられているのである。イスラームが、その教義において人種による不平等を否定していたとしても、差別は歴然として存在していた。特に黒人に対するそれはひどく、イスラームを信奉する者は奴隷身分とする事は原則として許されないにもかかわらず、古くからのムスリムであろうと黒人は奴隷狩りの被害に遭い、イスラーム世界や西欧世界に売却され過酷な環境に置かれる事が多々あったのである。

 ムスリム知識人による著作における人種差別的言辞の原型は、おそらく古典期のギリシャ人の様々な著作の翻訳活動を通じてイスラーム世界にもたらされたと思われる。つまりギリシャ人とバルバロイと言う単純な二項対立の構図。獣のようなとか、言葉を理解できないとか、軽率であるとか、パターン化された差別的な用語の使い方。これらはペルシャ戦争以後にギリシャ人世界、特にアテナイで発展していったギリシャ人優越思想を、白人系ムスリムに置き換え再生産し、さらに悪い方向に発展させたものであった。そして12世紀以降にまさに蛮族でしかなかった西欧人が、イスラーム世界と本格的な接触を進める内に、吸収したアラブ・ギリシャ思想に付随する形で、こうした思想が彼らに継承されていったのである。
 近代の大量の黒人奴隷の発生と差別の原因の大きな要素が、こうしたサハラ以北のムスリム全般の無知と安易な差別発言であった事は間違いないであろう。

 皮肉な事に、イスラーム社会が生み出したレトリックは、今度はムスリム全般に対して向けられるようになった。偏見に満ちた近代のオリエンタリズムが新たに創造した価値観に基づく誹謗中傷に、ムスリムとイスラーム社会を含むアジア全体が投げ込まれた事で、もともとフィクションでしかなかった各地の優越思想(中国の中華思想なども含む)が瓦解した。特にムスリムはアイデンティティの喪失は激しく、今や人々は愚かにも(アッラーフではなく)ムハンマドの後継者に助けを求めている。

 ムスリムが近代西欧の資本主義のフィクションに両足を置いた通貨主義的経済、収奪的な思想、人種偏見を非難する時、まずは自分自身の過去を美化せず、冷静に見つめ直すことが重要であろう。
 イスラームは優れた思想であるかもしれないが、ムスリムは別段優れた人々の集団ではない。他の社会と等しく、様々な同じ人間の生活する社会なのである。
 そして現代、西欧人達が行っている事は、自分達の先祖が過去に、あるいは状況が好転した時に自分達自身や子孫が行うであろう愚行なのである。
 歴史は必ず繰り返すであろうから。


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