頑固猫の小さな書斎

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 ヤズィード1世の治世その2:アッズバイルの蜂起

 
 さてハリーファたるヤズィードはカルバラーの戦いの3年後、マディーナの市民が目撃したところによると、酒宴と音楽にうつつを抜かすようになっていたと言う。
 彼はウマイヤ朝に好意的でない歴史家から「酒飲み」と、後世批判されることになる。
 尤もヤズィードは遊牧アラブ的な剛毅な人物であったとも伝えられ、また詩作を趣味としていた文化人でもあった。酒飲み云々の記述は、ウマイヤ家を敵視する後世の歴史家の視点がかなり投影されていると見て良いであろう。

  真実はともかく、勝ち誇り驕り高ぶっているとするヤズィードに関する報告を受けたマディーナ市民は、イスラームの教えを蔑ろにする、このハリーファに反乱を起こした。
 決起した彼らは市内のウマイヤ家の者達を虐殺、追放したのである。
 直ぐさま、ハリーファは、老臣ムスリム・ブン・ウクバを将とする軍勢を送り込んだ。
 マディーナ近郊の溶岩大地で両軍の会戦が行われ、敗れたマディーナは抵抗空しく制圧され、3日間略奪されたと言います(アルハッラの戦い。本当に略奪が行われたかは不明)。
 マディーナの女性が以後、結婚するときに、その父は娘の処女を保証せず、
 「おそらくこの娘はアルハッラの戦いで破られたことでしょう」
 と言い添えるようになったと言う。

 マディーナを制圧した後もハリーファ=ヤズィードは、軍勢をシリアに帰さず、そのまま聖地メッカに侵攻させた。
 クーファやマディーナ同様に、その地に反乱の兆候があったからである。
 反乱の指導者は、かつてアリーに反旗を翻しラクダの戦いで戦死したアサド家のアッズバイル・ブン・アルワウアームの息子アブド・アッラーフ・ブン・アッズバイル(622年生〜692年)であった。
 彼は初代ハリーファ、アブー・バクルの長女アスマーの子でもあり、高貴な血筋を誇っていました。
 そして今や聖地でハリーファを名乗り、公然とヤズィードに反抗していた。
 かつてヤズィードの即位した年に、マディーナ総督ワリード・ブン・ウクバはイブン・アッズバイルに忠誠の誓い(バイヤ)を求める使者を送っていた。
 しかし曖昧な態度をとり続けるイブン・アッズバイルに、ワリードは今度は脅迫まがいの使者を送り、イブン・アッズバイルはメッカに逃亡を余儀なくされていた。
 この時、メディア在住のウマイヤ家の長老マルワーン(後のハリーファ)はイブン・アッズバイルの危険性をより理解していたから、自身もマワーリーに騎兵を与えて追撃させたが捕らえる事に失敗し、イブン・アッズバイルはマッカへの逃亡に成功した。

 さてウマイヤ朝軍を率いていたムスリム・ブン・ウクバは高齢であった事もあり、その行軍中に病死してしまった。しかしメッカは攻略はそのまま継続された。
 そのためイブン・アッズバイルの籠もるメッカは、幾重にも包囲され、激しい戦闘が行われたのである。
 ところが683年11月、ハリーファ=ヤズィードが俄に逝去したとの報が伝わり、戦闘は俄かに中断されることになる。
 困惑した包囲軍は、老練なイブン・アッズバイルと交渉することになったのである。

 この時シリア軍の指揮官は、自分達と共にダマスカスに赴いて、ハリーファとしてバイヤを受けてもらいたいと、イブン・アッズバイルに申し出たと言う。
 しかしイブン・アッズバイルは、シリア行きを拒否した。
 この時もし彼がジュンドのシリア軍を掌握しておれば、アサド朝成立の可能性もあったかもしれない。だが、この果実を彼がもぎ取ることはなかった。
 シリアのムカーティラの支持があれば、イブン・アッズバイルの軍事力は飛躍的に向上したはずである。彼に本当に必要なのは、真に組織的な軍隊であったはずである。しかしイブン・アッズバイルにとってハリーファは、ヒジャーズ地方に居を定める宗教的な存在であったのであろう。彼にとって政治的中心はあくまでヒジャーズ地方。つまり聖都マッカ、マディーナであった。
 だがヒジャーズ地方は大征服期以後には、アラブ正規軍ムカーティラが駐屯する大規模な軍事基地が存在していなかった。
 ムカーティラは征服戦争のための部隊であり、征服が一段落した後は征服地やジュンド、ミスルと呼ばれる軍営都市に留まったためである。

 結局、シリア軍は、ウマイヤ家の新ハリーファの指示を仰ぐべくダマスカスに退却していった。

 ヤズィードの予期せぬ早逝は、ウマイヤ朝の権勢に暗い影を投げかけることになる。
 新たな危機の時代、第二次内乱が始まったのである。

 そのためヒジャーズ地方には軍事的空白が生まれ、それがハリーファ・ウスマーンの暗殺にも繋がったと思われる。
 イブン・アッズバイルは豊かなイラクのサワードは、弟ムスアブに間接支配させるに留まり、自身はヒジャーズ地方から動かなかった。
 しかしイラクには強力な反対勢力が存在していたのである。

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