頑固猫の小さな書斎

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アルサケス朝通史「ナルヤ・サンハの治世」その1
(1)初代パルティア王の物語
 
 一人の王が戦陣にある所をまず思い浮かべて欲しい。
 その王の名はナルヤ・サンハであったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
 20年近くの長きに渡り在位した老齢の王は今や天幕の中で横たわり、目は濁り始め顔面に汗が滲み、息は荒かった。
 後世の人々によって、彼はこの地の初代にして唯一の王と認められる事になる。
 ただし敗北した王として。
 だが傷つき死に瀕した王にとって、それは未来の関わりなき事でしかなかった。
 彼はまもなく現世での生を終え、新たな魂の旅路を「流れ」の中に魂を任せるうちに見出す事になるであろう。戦闘で受けた矢傷が王の身体を蝕んでいたからだ。矢には毒が塗り込められていたのか、傷は黒く変色し骨の中から疼くような痛みが王を苦しめていた。
 意識も朦朧とし始め、それでも光と契約の導きを受け入れる準備が心の中で整いつつある中、王は古き人生について今一度思い馳せている様にも見える。

 王の故地はソグティアナであり、その地に住む人々を教導すべき勢力ある名家の出身だった。
 一族はハカマーニシュ帝国時代には帝国政府と地方の土豪勢力との間に身を置き、社会秩序の維持の一端を代々担っていた。
 ソグドの民は知恵者が多い土地柄で、そのため治め難く実に頑なであったが、残酷さや虚偽と臆病を嫌う尊敬すべき人々であった。
 しかし王が年少の物心ついた頃の帝国はすでに崩壊の直前であった。
 西方から新たに現れた蛮族達によって平和な時代は終わりを告げ、ただ武力と恐怖のみが社会を維持する手段に成り果てた暗黒時代が訪れたのである。
 年若かった父母も名だたるペルシア貴族の子弟として武器を手に取った。
 皆が勇猛なる事で知られたソグド王スピタマヤに従って抵抗運動を続けていたが、遂に力及ばず正義は悪に破れ去った。
 ソグド王は首級を残忍なる敵手によって晒され辱めを受けることとなった。

 美しき街々は破壊の限りを尽くされ、その代わりに血と富を好む蛮兵達を閉じ込め管理するための城塞が無数に作られた。清浄なる光神の神域はけがされ、蛮族自身に似せた石造りの徳無き異教の神が祭られた。彼らの神々は奇妙な事に欲と無知と情に支配され、人々を導くには全く相応しくない道化の集団であった。彼ら自身も神々を崇めつつも卑下しているようにしか思えなかった。

 ソグド王の娘であるアパメー姫は美貌で知られていたが、残虐なる敵主は彼女を辱める目的で無名の部下の一人に下げ渡した。
 その人物は姫の余りの美しさに心奪われて丁重に彼女を扱ったが、同じような立場となった多くの姫君等は蛮族の一時の余興の対象となり捨て置かれることとなったと言う。
 蛮主もペルシアの高貴な娘を好み幾人かを側女に迎えてその1人と子息を儲けたと言うが、やがて残忍に殺害されたと聞く。
 一方アパメー姫の輿入れの際に、王の父は護衛の1人として側に仕える事となった。父は太陽に誓って姫を守ると一族に告げ蛮主が都としたバビロンに旅立って行った。

 アパメー姫の夫はやや太り気味で冴えない風貌の人物であったが、愚かでも短慮でも臆病でもなかった。裏切りを悪徳としないという点では蛮族一般と同じであったが、自分達が神以外の何者にも束縛されないと言う妄想の如き「自由」と呼ぶ概念の狂信者ではなかった。
 蛮族の多くがペルシアの人々を故なく見下していたが、姫の夫はそうした硬直した思考を持っていなかった。蛮族の言う誇りとは、それは寛容の心を持ち得ない程に自分達の種族の出自や伝統に自信を持てない事から生み出された逃避的な虚妄の産物なのであろう。他者より優れていると無理矢理思い、強制しなければならないほど彼らの種族は狭い地域にしか根を下ろせず、その文化は所詮借り物でしかなく脆いものなのである。
 彼らとその同盟者達の諸学門の多くはバビロンやエジプトの伝統的学問の不出来な翻訳でしかないし、宗教に至っては全宇宙・全世界・全時間的な視点の全くない虚空で演じられる喜劇でしかない。論理学や哲学に限って異常なほど執着しているのも孤立している自分たちに対する言い訳を必要としているからであろう。現実をすり替え、我らの偉大な先祖が築き上げてきた過去の資産を盗み、着服するための方便の手段として。

 姫の夫はこうした自分達自身の虚勢を見抜き、同族を見下していた。
 そんな同族を頼っていては真に神の前で平等な社会、国家は成立しないと考えていたのかもしれない。

 幸いにもアパメー姫は天寿を全うし平穏な一生を終えた。
 そしてアパメー姫との間に生まれた男子は才覚に満ち、「神の如き者」と呼ばれる賢主となった。やがて私の父や多くの同胞によって新たなる諸王の王、皇帝となり人々に君臨したのである。遅れて生まれてきた私も皇帝に仕える事となり、年少の頃から王の新たな治世を支えるべく奮闘した。

 しかし蛮賊達はペルシスの皇帝の再来に反発し、西方の多くが皇帝の公正な治世を拒み、反乱を繰り返した。皇帝はエジプトの蛮王に対して戦を続けたが、常に裏切りを繰り返す人々に心を痛め、また哀れと同情していた。
 しかし皇帝の武勲は遂に報われず、西方の領土は次々に失われていった。
 蛮族らが得意な事と言えば人殺しでしかない。
 蛮族達の多くは戦場では人間としての理性を持たぬ狂気を纏う戦士たちであった。理性を持ちえぬが故に彼らの学者たちは理性の徳性を声高に叫ぶのであろう。
 東方の要塞が強化された時にも、武力としての蛮族達の力を皇帝も認めざるを得ず、遊牧の民から国土を守るため彼らを多数住まわせた。勿論、それによって他の地方から蛮族の姿を減らし人々の目から隠す事が目的でもあった。
 世界に平穏をもたらそうとした奮闘した皇帝は、蛮族達の横暴に心痛めつつ、やがて病を得て安らかならざる死を迎えた。
 私は皇帝の命を受けて東方の守りを任されていたが、それを生涯の務めと決意して大海の東の地を長く治める事となった。
 しかし諸王の王は遂に絶え、新たに即位する事はなかった。
 名君の子孫達は西にしか目を向けず、栄光ある帝国の使命と歴史を見失ってしまったからである。おそらくは我らが王が妻に迎えた蛮族の娘の悪しき血のせいであろう。その娘は皇帝の父の側妾であったにもかかわらず、皇帝を誘い富と権力を長く手にしようとした妖女であった。王は皇帝と彼女との結婚を止めることが出来なかったことを、今でも深く悔いていた。
 それ故に王は責任を痛感していた。帝国の理念と民を守る事にである。

 だが力及ばなかった。
 彼が王を名乗ったのは、目の前に迫った危機に対して人々の結束を促し守りを固め、また将来生まれるであろう新たな帝国の道標にならんとしたからであった。
 その危機とはサカ族の長を名乗る新たな暴君の襲撃に端を発していた。
 大海の東の領土は常にサカ族による襲撃に怯えていたが、新たな彼らの長は最初は傭兵として我らや東の城塞の長らに仕えていながら、やがて地勢や兵士らの情報を得て準備を整えると掌を返して北のサカ族の民達を煽動して多数彼らを導きいれたのである。

 最初サカ族は東方の蛮族の要塞を攻略せんとした。
 その地は王の領土よりも豊かで、さらに東方に存在する遊牧民との接点であったからである。
 しかし前皇帝が苦心して築いた強固な城壁によってサカ族の攻撃は頓挫し、蛮族の兵士らは武勲を挙げた彼らの総督を新たな王とした。
 サカ王は今度は王の領土に矛先を変えて、襲撃を繰り返すようになった。ナルヤ・サンハ王はこの時に人々に推されて王位を名乗ったのである。
 王は急遽税を集め、兵士を募り、武器を整えサカ族に対抗した。しかし急造の王国には十分な兵力もなく、都市の城壁は低く、戦況は次第に不利となっていった。
 また都市に住む商人の幾人かはサカ王が傭兵であった時代から好を通じていたため城門を開け放った者もいた。

 王は決戦を企図した野戦でサカ族の軍隊を迎え撃ったが、騎馬弓兵たちは王の兵士達を容易く蹴散らし、将軍は裏切り、王自身を含めて兵らは深く傷付いて逃走した。
 
 王国はここに瓦解した。

 サカ王はやがて彼に代わって、この地を治めようとするであろう。
 この地に前帝国の遺志を復興せんと考えた王の夢はあえなく潰えた。
 ただサカ王が帝国の宗教に興味を持ち、信仰しているという噂だけが彼に希望を与えていた。サカ族もまたかつては帝国の民の一部であったからである。

 かくて王は死んだ。
 惨めな敗者として。
 かくて国は滅びた。
 泡沫の小国として。

 王の遺志を知る者はなく、王の理想は歴史の狭間に消えていった。


                                                    
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